少し落ち着きましたので、あとがきを掲載させていただきます。
今回400名を超すお客様に、「村雨」をご覧いただきまして
ありがとうございました。
また、たくさんのアンケートもありがとうございました。
大切に1枚、1枚、目を通させていただきました。
多くの方が、このお芝居を楽しんでくださったようですが、
やはり、中には、私が危惧していた点にふれられた方もありました。
今回、脚本の中でたくさんの命が亡くなりました。猫も犬も、たくさんの兵士も・・・。
私欲や策略で命を落としたもの、自ら命を絶ったもの、
主君のため、大切な人のため・・さまざまな理由で命を落としていきました。
それが、観ていて辛かったと・・・。
私は、現代や近未来を描いたアクション映画が苦手です。
だって、意味分からんし、ただ痛いもん。
なんであんな理不尽に戦うの?人の命、粗末に表現しすぎでしょ・・って。
だから(このアンケートの方が私と同じとは限りませんが)、
今回の脚本を選定する時にも、
やはり人の手によって命を落とすことを扱うのに迷いがありました。
それをなぜ?
今回描いた「村雨」は、八犬伝の原作からはかなり外れ、
戦乱の世での宿命を背負った若者が、平穏な未来を目指してゆくという筋立てで、
読売が「里見八犬伝」の巻物を投げたところから物語が広がり、
その巻物が「昭和90年」という巻物と絡み合って終わります。
そう。
昭和90年、今がまさにその年。
日本のその「過去の時代」から70年の今年は、果たして、どんなな未来なのでしょうか。
私たちは、いかに生き、どう行動すべきなのでしょうか。
この芝居を、ご自分の姿に重ねてみた方、
生きることを考えてくださった方、
また、中には、安保法案にふれてアンケートにご記入くださった方もありました。
「村雨」は、決して、人の死の描く物語ではなく、
過去の時代を借りてこその、現代への投げ掛けなのです。
時代劇にすることで、水戸黄門的なスッキリ感が出せればなぁ~と思ったんですが、
もしかしたら、人の死を扱わずに、伝える方法があったのかもしれません。
それができなかった私は、まだまだ未熟者なのです。
さ、そこを補うために、私も次の行動にとりかからねばなりませんね。
だって、私。
生きてますから(笑)
2015年10月 演出:あんどうりか